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「THE GOD OF THINGS AS THEY OUGHT TO BE」幸せの道しるべ【ビリケンさん】

大阪には数多くの名物が存在します。
まず初めに大阪名物として頭に浮かぶのはグルメではないでしょうか。
「たこ焼き」「串カツ」「お好み焼き」

もちろんグルメだけではありません。
日本一の高さを誇る超高層複合ビル「あべのハルカス」や大阪のシンボルとして今もなお、大阪を支え続ける「通天閣」。

そしてその中で、わたしたちを見守り続けてくれているのが「ビリケンさん」。

本日はそのビリケンさんの歴史についてご紹介させて頂きましょう。


通天閣の公認キャラクターであり、関西を代表する福の神であるビリケンさんは「大阪生まれ」のイメージがかなり強いのではないでしょうか?ですが実を言うとビリケンさんは「アメリカで生まれ大阪育ち。」と言った、かなりユニークな神様なのです。

そんなビリケンさんの誕生を遡ると、明治41年に米国の女性芸術家であるフローレンス・プリッツが当時の大統領のウィリアム・ハワード・タフトのウィリアムの愛称であった、「ビリー」に小さいを意味する接尾語である「-ken」を加えたのが「ビリケン」の名前の由来とされています。

そしてその当時のビリケンさんは、足を突き出す座り方はアフリカ人、顔立ちは東洋人がモデルで、「足の裏をかいて笑えば願いがかなう福の神」とされていました。

ではそんなアメリカ生まれのビリケンさんは、いつ日本へやってきたのでしょうか。

ビリケンさんが日本へやってきたのは明治42年から翌年にかけてやってきたと言われています。

そして家内和合や商売繁盛の神として日本中の花街を中心に流行していきました。
そんな中、初代ビリケンさんとして大阪に登場したのは明治45年。

新世界に通天閣とともに開業した遊園地である「ルナパーク」にあったホワイトタワー内に設けられた「ビリケン堂」で展示されていたのが初代ビリケンさんだと言われています。

ですが、ルナパークの閉園ととものビリケンさんは行方不明に。
そんなビリケンさんですが昭和54年には二代目ビリケンさんが登場し、通天閣の展望台に鎮座します。元々、繊維専門商社の田村駒、創業者の田村駒治郎がビリケンさんを会社の福の神として崇め奉り、商品の向上発展とお得意先である皆様の商売繁盛を祈り、代表的な商標として、ビリケンさんを使用していました。

そして昭和54年に「通天閣ふれあい広場」を作る際に、通天閣の名物であったビリケンさんを復活させることになり、田村駒が作っていたビリケン像を通天閣に貸し出し、盛大なイベントが行われたのです。またその貸し出したビリケンさんをモデルに作られたのが二代目のビリケンであり、新世界に「お里帰り」したのでした。
そのあとも「足の裏をかいてあげると御利益がある。」として足の裏をなでる人が後を絶たず、足の裏のすり減りなどが進んだため、平成24年5月に、通天閣並びに新世界100周年を記念して新たに三代目ビリケンさんが新調されました。
そんなビリケンさんにはこんな文字が刻まれています。
「THE GOD OF THINGS AS THEY OUGHT TO BE」と。

台座に刻まれたこの文字は言い換えると「何もしない神様。」と言う意味を持ちます。
「私たちが自分たちで考えて、アクションをしないと幸せにはなれなよ。」そうビリケンさんが教えてくれているのです。
だからきっと、私たちの幸せの一歩を踏み出すそのアクションとして、ビリケンさんは足の裏を差し出し、足の裏を触るその行為を受け止めてくれて、幸せを呼んでくれるのでしょう。